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3連休にデジタル写真の整理をしていて、撮影してきたことも忘れて放置していた鉄道写真を発掘しました(笑)

帰省の折にいつも足を運んでいる仙台総合鉄道部から、車であればそう遠くない「利府町」と言うところに位置している「新幹線総合車両センター」を訪れたのは、東日本大震災が起きる半年あまり前の2010年8月13日のことでした。

お盆の時期ということもあって、工場内の見学コースはクローズとなっていましたが、屋外の静態保存車輌たちは存分に見学できました。
今回はその際に撮影してきた保存機たちの姿を、2回にわたってご紹介したいと思います。

961-1・961-6

↑懐かしの200系・・・ と思いきや、さにあらず。
「新幹線961形電車」と呼ばれた車輌です。

全国の新幹線での走行が可能な「試作車」で、当然のことながら電源周波数は50/60Hzに対応をしていました。
6輌編成で試験走行を行いましたが、その編成の中には食堂車や寝台車などがありました。
食堂車はその後、実際に営業運転を行った0系にも取り入れられましたが、寝台車は実現しませんでしたね。

もともとは0系に準じた塗装だったのですが、ここでは200系に準じた塗装に変更されて保存されています。
また、ここで保存されているのは961-1・961-6の2輌のみです。

ちなみに1979年12月7日に行われた試験走行で、当時としては世界最速の時速319kmを記録した車輌でもあります。

200系221-1・237-1

↑こちらが200系新幹線。
保存されているのは221-1と237-1の2輌で、どちらも東北新幹線開業当初に導入された車輌群の生き残りです。

953-5・953-1

↑宇宙空母ブルーノアを思わせる前面形状!(古い上にマイナーな例えなので一体何人の人が理解できるのやら・・・)
「新幹線953形電車」と呼ばれた車輌です。

新幹線の高速走行による振動や騒音など、環境への影響を低減させるためのデータ収集・試験用に導入された高速試験車輌です。
愛称は「STAR21」。
保存されているのは953-5と953-1の2輌のみ。
この車輌が保存されていたのには、ちょっと驚かされました。

D51-1108号機

↑D51-1108号機。
1944年に日本車輌によって製造された車輌です。
新津に配置されたあと、弘前や会津若松などを渡り歩き、今はここで静かな余生を送っています。

C58-365号機

↑C58-365号機。
1944年に川崎車輌によって製造された車輌です。
1972年に小牛田にて廃車となったようです。

C11-351号機

↑C11-351号機。
1946年に日本車両によって製造された車輌です。
1972年の廃車時は会津若松にいました。

正直言って保存状態はそれほど良いというわけではなく、ほぼ雨ざらしのままで「そこに置いてある」という状況ですが、どれも貴重な車輌たちですので一見の価値はあるかと思われます。

次回はやはり貴重な電気機関車(静態保存機)たちをご紹介します。

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【2013/11/05 14:54 】
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